アスリートの時間軸。

昨シーズンからCSに加入して、

ほぼ毎節の観戦をはじめた独プロサッカーリーグ、ブンデスリーガ。

 

 

いやー、こんなにおもしろいとは思いませんでした。

毎週3試合はキャーキャー叫びながら観戦する日々で、

このままシーズン終了したら、ぼくの日常は間違いなくひとつの色を失います。

 

そんなぼくが熱心に応援しているチームが、

日本代表、内田篤人選手の所属するシャルケ04です。

といってウッチーの大ファンというわけでもなく、

このチームで大黒柱として活躍する、

ラウール・ゴンザレス選手の大ファンなんですね。

 

 

かつてレアル・マドリーで一時代を築き、

スペインの至宝、神の子とまで呼ばれたラウール・ゴンザレス。

彼はこの6月に35歳の誕生日を迎えるベテランなのですが、

とにかくピッチ上での立ち居振る舞いから

ときおり漏れ聞こえてくるインタビューでの発言まで、すべてがカッコイイ。

ぼくにとってはほとんど尊敬・崇拝の対象で、

とても年下だとは思えません。

 

今日は、そのことについて考えたいと思います。

 

35歳といえば、サッカーの世界では大ベテランです。

しかし一方、一般社会における35歳となったらまだまだ中堅、

下手したら若手としてカウントされる年齢です。

これって、すごく重要なポイントなんだと思います。

 

犬の1年は人間の7年に相当する、なんて話がありますが、

ひょっとしたらアスリートの1年も

一般人の数年間に相当するんじゃないか、

彼らはそんな時間軸に生きてるんじゃないか、と思うのです。

 

たとえばサッカー選手の1年が一般人の3年に相当するなら、

ラウールは今年で35×3=105歳。

念のためお断りしておくと、ここでぼくが言いたいのは、

彼がフィジカル的に105歳なのだということではなく、

105歳に相当するだけの人生を歩んできたのだ、という話です。

 

そう考えれば、

彼の立ち居振る舞いに長老みたいな風格が備わるのも当然だし、

含蓄に富む発言の数々も理解できます。

現役選手であり続けるかぎり、彼はファンと選手の両方から

尊敬と称賛のなかに身を置くことになるでしょう。

 

 

ただし、すべてのアスリートには引退という日が待っています。

それまでベテランとして尊敬と称賛のなかに身を置いてきたアスリートが、

一気に「ただの35歳」に引き戻される日、

過去の人生とはまったく違う時間軸に放り出される日です。

 

このとき、多くの元アスリートは

一種の「生きなおし」を強いられるわけです。

「世間」を知らない社会人一年生として、

そのキャリアを一からやりなおし、もうひとつの人生を歩みはじめる。

たとえばスポーツキャスターに転身した元アスリートの方々も、

現役時代ほどの敬意を払われることはなくなり、

むしろその初々しさや世間知らずっぷりを笑われているような、

ちょっと小馬鹿にしたような雰囲気がありますよね。

 

でも、それは明らかにもったいないし、失礼千万なこと。

彼・彼女はこれまで

一般人の105歳にも相当するほどの人生を歩んできたのだから、

35歳の社会人一年生としてではなく、

105歳の大ベテランとして生きてほしいし、なにかを語ってほしいのです。

自分が身を置いてきたスポーツを語るだけでなく、

たとえば人生を語り、政治を語り、芸術を語ってほしいのです。

 

 

 

そんなことを思っていたとき、ちょうど出会ったのが

侍ハードラーこと、陸上選手の為末大さんのツイッターでした。

 

為末選手の言葉は、とにかく響きます。

なぜなら、それが大ベテランの域に差し掛かった

現役アスリートの言葉として語られているからです。

そしてなにより、為末選手はアスリートの住む世界の風景を、

正確に言語化する力を持っている。

アスリートに流れる時間軸を、一般人の時間軸に変換する言葉を持っている。

だからぼくたちはまるで長老の言葉を聞くようにして

彼のツイートに耳を傾けるのだと思います。

 

今後為末選手が現役を退く日が来たとしても、

たぶん社会人一年生としてではなく、

長老としての言葉を聞かせてくれるのではないか。

そんなことを期待しながら、日々のツイートを拝読しています。

 

もちろん、為末選手のように自分の言葉を持つアスリートは稀です。

多くのアスリートは自らを語る言葉を持たないまま、

自らを言語に置き換える必要性を感じないまま現役を退き、

社会人一年生としての生きなおしを強要されます。

 

アスリートにかぎらず、

ある分野の専門家たちはどんな時間軸に生きているのか。

そこにはどんな言葉が溢れているのか。

もっとその人の生きる「時間軸」を意識し、取材にあたること。

そして共に言葉を掘り起こしていくこと。

それもライターとして重要な心構えなんだろうな、と思っています。

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