課金コンテンツの3条件。

昨日(2012年9月11日)オープンした、

コンテンツ配信プラットフォーム、cakes(ケイクス)

 

このなかでぼくは、

『文章ってそういうことだったのか講義』という

けっこう図々しいタイトルの連載を執筆させていただいています。

まだまだオープンしたてのプラットフォームで、

はじまったばかりの連載です。

今後どうなっていくのか、見えないところはいっぱいあります。

そこで、この連載が生まれた経緯や狙いについて、

メモ代わりに書いておくことにします。

 

じつをいうと、当初はあのような連載をやる予定はありませんでした。

違ったかたちの企画を数本考え、

どれからやりましょうかと話を詰め、

他のお仕事とのスケジュールを調整しているところでした。

 

ところが、たまたま星海社新書と cakes が協力関係を結ぶことになり、

この1月に刊行した『20歳の自分に受けさせたい文章講義』

一部転載してはどうか、という話が持ち上がります。

 

なるほど、転載はありがたい話です。

手間もかからないし、パブリシティにもつながります。

けれど「そのまま」転載することには、つよい違和感がありました。

 

というのも、

あの本は新書というパッケージで読むことを念頭に書き、

最適化したつもりの1冊です。

文章にしろ、構成にしろ、あるいはタイトルにしろ、

すべて「武器としての教養」を標榜する星海社新書の枠組みのなかで考え、

方向性を決めていきました。

 

もし違う媒体であの内容を語るなら、

しかも Web という空間のなかであの内容を語るのなら、

当然ですが文章も構成も変わってきます。

 

そこでピースオブケイクの加藤さん、

また星海社新書の柿内さんにお願いして、

大幅な、ほとんど書きなおしに近い加筆修正をさせていただくことにしました。

 

タイトルを『20歳の自分に受けさせたい文章講義』から改めたのにも、

そんな理由があります。

Web であればもっと違うタイトルになるはずだし、

違う見せ方を考えないといけないだろう、と。

 

 

 

そしてもうひとつ、加筆修正していくなかで考えたのは、

cakesが課金型のコンテンツ配信プラットフォームだということ、

もっとわかりやすい話をすればブログとの違いです。

 

要するにあの連載は、読者からお金を払ってもらう「商品」なんですね。

決して無料で読めるブログじゃない。

だとすれば、いくつか乗り越えるべき課題があるはずです。

 

ぼくはいつも、ビジネス書や実用書をつくるとき、

それが投資(読者の出費)に見合う商品であるための条件として、

次の3つを考えています。

 

(1)お役立ち度

(2)情報の希少性

(3)文章のおもしろさ

 

ビジネス書や実用書であるかぎり、

どこかになんらかの「役立つ要素」が入ってなきゃいけない。

星海社新書的な言い回しをつかうなら、

武器となりうる要素が入ってなきゃいけない。

それは技術的な話なのかもしれないし、

世界の見え方が変わるような「知」や「価値観」かもしれない。

いずれにせよ武器が必要だ。

 

そしてお金を払ってもらうからには、

「ここでしか手に入らない情報」が重要になる。

そうでなければ、読者は選んでくれない。

わざわざこの本を選ぶ理由がなくなってしまう。

 

さらに上記の2つをスムーズに読ませていくには、

文章のおもしろさが不可欠になってくる。

 

 

 

たぶん、このブログは上記の条件をほとんど満たしていません。

それは端的にいえば、これが商品ではなく、

無料で広く公開された個人的読みものだからです。

お前のブログはつまんねーよ、と叱られても「ああそうですか」と言えます。

 

でも、課金型のコンテンツ配信プラットフォームである cakes では、

上記の3条件をクリアしなきゃいけない。

お前の連載つまんねーよ、 と叱られたら真摯に頭を下げないといけない。

なぜなら読者は、時間とお金を投資しているのだから。

 

そんなことを考えつつ、

文体を大幅に変え、長さを調整し、大胆な再構成をほどこし、

また適時ナイスな写真を差し挟むなどして、

Web における「課金にたえうるコンテンツ」のかたちを

暗中模索しているところです。

 

この先もっともっとおもしろくなっていく連載なので、ぜひご購読ください。

そしてぜひぜひ、ご意見やご感想を聞かせてください。

ちなみに cakes、3条件を備えたコンテンツがたくさん揃っていますよ。

 

 



セカイを青に染め上げよう!

ああ、なんてまっすぐな言葉なんだろう!

なんてすがすがしい青さだろう!

 

 

 

青山裕企さんの『僕は写真の楽しさを全力で伝えたい!』

これはひとりの内気で劣等感に凝り固まった少年が、

こころを開き、世界と向き合って、大人になっていくまでの物語だ。

 

大人になるとはどういうことか。

思春期に大きく膨らませたやわらかなロマンティシズムが

残酷なリアリズムに打ち砕かれていく過程のことを、そう呼ぶ。

少なくともぼくはそう思っている。

 

本書を読んで青臭いと笑う人もいるだろう。

でも、ここにあるのは一度リアリズムの冷たい風を通過した著者が、

それでもなおロマンティシズムを選ばんと決意する、

意志と覚悟に満ちた「青さ」だ。

 

人とうまく話せなかった著者にとって、

コミュニケーションの補助ツールとして出発したカメラ。

それがやがて自分を表現する絵筆になり、

いまやたくさんの「僕」に決起を促す拡声器になっている。

 

ああ、なんてまっすぐな言葉なんだろう!

なんてすがすがしい青さだろう!

 

読みながら遠くから、音楽が聞こえてきたよ。

 

 

 

 



卓球を見ながら考えた。

東日本大震災のあと、ニュース番組で

被災地に支援物資を送る福原愛選手の姿を見たことがある。

彼女は支援物資の詰められたダンボール箱に自らのサインを書き、

さまざまなメッセージを添え、トラックの荷台に積み込んでいた。

 

その映像を見ながらぼくは、

スポーツ選手による支援の難しさを感じていた。

 

福原選手は、宮城県仙台市の出身だ。

震災の被害には誰よりも心を痛めていたひとりだろう。

しかし一方、彼女には翌年(つまり今年)のオリンピックが控えている。

練習にも国内外の大会にも全力をつくさなければならない。

オリンピックをめざす競技者にとって、いちばん大事な時期だ。

しかも当時は「この非常時にスポーツか」という空気もあったし、

競技を続行することへの迷いを口にする選手も多かった。

また、著名人による支援活動が

売名行為や自己満足に陥ってしまう可能性も多々あったように思う。

 

そして今回、オリンピック中継を観ていて

ひとつのことに気がついた。

 

 

きっと福原選手からの支援物資を受け取った被災者の方々は、

まるでわが子の試合を見守るように、

友達やお姉ちゃんの試合を見守るように、

そして大事ななにかを託すように、

今回の試合を応援したんじゃないだろうか。

少なくとも東京にいるぼくよりは、

ずっとずっと真剣に身を乗り出して応援していたはずだと思う。

 

福原選手からの支援物資に込められたメッセージとは、

被災者への「がんばってください」ではなく、

被災者との「がんばるよ」という約束だったのだ。

 

支援され、応援されるばかりでは、こころが疲れる。

人はたぶん、応援したい生きものなのだ。

 

4年に1度のオリンピック。

4年に1度のお祭り騒ぎ。

いろいろ不満のある人もいるだろうけど、

とてもいいものだと、ぼくは思っている。

 

 

 

 



働くこととは「借金」である。

働くこと、それは「借金」である。

 

学校を卒業して働きはじめるとき、

ぼくたちは大きな大きな借金を抱えることになる。

誰に借りるのかわからない。

いくら借りたのかもわからない。

 

借金するとぼくたちは、たくさんのものを手に入れる。

 

社会的な信用、

ちっぽけな自尊心、

いくつかの居場所、

着るもの、食うもの、住むところ、

そしてたしかな達成感、

あるいは家族。

 

限度額はいっさいなし。

借りようと思えばいくらでも借りられるし、

ここで買えないものなんて、ない。

 

さて。

ぼくは、あなたは、あのひとは、

労働のATMからいくら引き出して、

なにを買おうとするのだろう。

何年かけて返済しようとするのだろう。

 

そして借金を完済したとき、

手元になにが残っているのだろう。

 

なんだか最近、そんなことばかり考えている。

 

 



書き手にとってのデジタルコンテンツとは。

自分には関係ないと思っていた。

関係あるのは周りの人たちで、自分がやるべきことは変わらない。

そう決め込んで、のんびり高をくくってきた。

 

電子書籍の話である。

 

たぶんいまも、作家やライターのなかには

紙か電子かなんて議論は、ただただ販売形態の話であって、

書くことの中身は変わらないし変わりようがない、

と思っている人は多いはずだ。

 

でも、そう思っている人たちにこそ、

このインタビュー(全4回)を読んでほしい。

 

 

https://cakes.mu/

『もしドラ』の編集者、加藤貞顕さんが立ち上げる新メディアサイト、

cakes(ケイクス)のティザーサイトだ。

 

加藤さんから退職と独立について聞かされたのは、

ずいぶん前のことだった。

『もしドラ』が破竹の勢いで売れ続け、アニメ化や映画化が決定し、

その準備や調整に追われていたころだったと思う。

 

なぜ辞めるのか、辞めてなにをするのか、

ぼくは詳しく聞かなかった。

 

270万部も売れてしまったら、

アニメ化も映画化も実現し、社会現象になるほどに売れてしまったら、

そりゃあ燃え尽きてしまうだろう。

この先なにを目標に本づくりをすればいいのか、

わからなくなってしまうだろう。

そんなふうに考えて、

フリーの編集者となった加藤さんが

ゆっくりと「これから」を見つけていけばいいと思っていた。

 

ところが加藤さんは、とっくに「これから」を考えていた。

いや、正確には違う。

たぶん、このインタビューで語られたことのすべてを計算ずくで独立した、

というわけではなかったはずだ。

会社を飛び出した段階ではもっとぼんやりしていたはずだし、

実際に動き出してから補完され、

理論武装されていった部分も多々あると思う。

 

でも、なにごともそうなのだ。

飛び出して、動き出して、裸になってこそ、真剣に考えられる。

そして退路が断たれてこそ、

他者を説得するだけの迫力ある言葉を獲得することができる。

 

このインタビューを通じて、

ぼくも自分自身のデジタルコンテンツへの向き合い方を

真剣に考えなおすようになったし、

たぶん cakes で連載させていただくコンテンツは、

これまで紙に書いてきた文章とはぜんぜん違った姿になると思っている。

 

 

時代は、たしかに動き出した。

来年の自分がどこでどんな文章を書いているのか、

そして cakes がどんな「場」として育っているのか、

いまからとても楽しみだ。