タイトルは育つ。

地位が人を育てる。

相撲の世界でしばしば語られる言葉だ。

大関になれば大関らしい貫禄を身につけ、

横綱ともなれば近寄りがたいほどの風格が備わる。

 

なのに全然ダメじゃん、おかしいじゃん。

と責め立てられたのが朝青龍だった。

 

 

そんな余談をツカミとしながら考えているのは、

本のタイトルである。

 

タイトルの世界にも「地位が人を育てる」はある。

 

過去のヒット作を思い返してみると、

ほぼ間違いなく「このタイトル以外は考えられない!」と思う。

でも、ほんとうにそうなのか。

売れたから、その名前で世に広まったから、

「このタイトル以外は考えられない!」のではないか。

 

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』というタイトルを考える。

この本はまだ、ヒット作と呼べるほど売れているわけではない。

でも、少しずつ馴染んできた。

いいタイトルだったな、と満足できるようになってきた。

 

グーグルやアマゾンで「文章講義」の名前を検索すると、

本作以外のキーワードはほとんど引っかからない。

かといって意味不明な言葉ではなく、

字面からも、言葉の響きからも、その意図するところが伝わってくる。

これは星海社・柿内さんと何度も打ち合わせを重ね、

共に何軒もの書店をまわり、紆余曲折を経て行き着いた言葉だ。

 

そして前段の「20歳の自分に受けさせたい」だが、

これも「20歳」という年齢がほんとうに正しいのか、

「18歳」ではダメなのか、あるいは「20代」ではないのか、

いろいろ頭を悩ませた。

正解がどこにあるのか、そもそも正解なんて存在するのか、

自信満々だったとはとても言い難い。

 

けれど結局、いまとなっては「20歳」でよかったと思っている。

このへんはロジックだけで説明できるものではない。

発売から3週間が経過して、

ようやくタイトルが馴染んできた。それだけだ。

 

本とはそうやって育っていくものだ。

そんなことを、あらためて勉強している。

 

 

 



もったいない!

いま「リアル文章講義」の準備を進める傍ら、

来月以降に取りかかる本の企画を、

編集者の目線でいろいろと考えています。

 

誰に、なんのテーマで、どんな読者に向けて書いてもらうか。

 

企画のすべてが実現するとは思わないけど、

考えていておもしろいものです。

 

それでさきほど、

ぼくが企画を考えるときのキーワードに気がつきました。

 

ぼくが「この人でこんな本をつくりたい!」と考えるとき、

かならず頭をよぎっているキーワード。

それは「もったいない!」です。

 

 

あのエコロジカルキャンペーンの「MOTTAINAI」ではありません。

 

こんなおもしろい人が、誤解されてて——もったいない。

正当に評価されていなくて——もったいない。

粗悪品が出回っていて——もったいない。

知られてなくて——もったいない。

 

そして、

自分ならもっと正しく、

もっとおもしろく伝えられるのに——もったいない。

 

考えてみればけっこう傲慢というか、不遜な態度のようですが、

自分を動かす原動力に「もったいない!」があるのは確かだな、と

いまさらのように気がついたのでした。

 

実際の話、

もったいない人、もったいない組織、

もったいない研究、もったいない議論、もったいない学説、

などを世に紹介していくのは、編集者やライターの大事なお仕事ですよね。

 

いちばんダメなのは「人に教えるのはもったいない!」マインドでしょう。

企画でもアイデアでも、盗むんなら盗めってくらいの精神で

どんどんオープンにしたほうが世のなかおもしろいと思います。

 

今後はアイデアの断片なんかも、このブログに書いていくかもしれません。



なんのために書くのか?

本日、早いところでは昨日、

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)が

めでたく発売になりました。

名前のとおり、文章の書き方について語った一冊です。

 

 

今日は、どうしてこんな本を書いたのかについて、

簡単にお話ししようと思います。

 

ライターとして、毎日いろんな原稿を書くなかで、

ふと疑問に思うことがありました。

 

たとえば、

<昨日の夜、東京地方では雪が降った>

という文を書いたとします。

けれど心のどこかで

「うーん、なんか違うな」「なんとなくしっくりこないな」と思う。

 

そこで、

<昨日の東京地方は、夜から雪になった>

と書きなおす。

「うん、こっちのほうがしっくりくるな」と思う。

 

このブログでも、メールでも、あるいは仕事の原稿でも、

ぼくはそんな感じで文章を書いているわけです。

たぶん、ほとんどの人が同じだと思います。

 

でも、ここでの

「なんか違う」とか「なんとなくしっくりこない」とか、

「こっちのほうがしっくりくるな」とかって、

なにを根拠にそう感じてるのでしょう?

 

勘?

経験?

センス?

 

文法的に明らかな誤りがあるのなら別だけど、

<昨日の夜、東京地方では雪が降った> に文法的な誤りは見受けられない。

なのに、どういうわけか「なんか違う」と思ってしまう。

これ、非常に困った問題です。

 

というのも、基本的にぼくは自分に才能がないと思っているので、

(才能がないことを知っているので)

できれば「勘」とか「センス」なんてあやふやな基準に頼ることなく、

もっと確かな基準をもって、自分の文章を見極められるようになりたいのです。

そうしないと今後の成長は望めないなあ、と。

 

そうやってあれこれ文章について考えをめぐらせていたとき、

ちょうど運よく「文章術の本をやりませんか?」と声をかけていただき、

チャレンジすることにしました。

 

 

もうひとつ、書いた理由としては、

(これは本の中身にも通じる話なのですが)

頭のなかでいくらぐるぐると考えたところで、答えなんか出ないんですよね。

 

自分なりの「解」を得る唯一の方法、

それは「書くこと」なんです。

 

書く、という再構築とアウトプットの作業を通じて、

ようやくぼくたちは「解」を得る。

解がわかったから書くのではなく、

解を得るために書く。

「書くこと」とはそういうことだと、ぼくは思っています。

 

そして今回、

ぼくは「文章ってなに?」について徹底的に考え、書きました。

自分なりの「解(最善解)」は十分に掴んだつもりです。

よろしければぜひ、ぼくの「解」を覗いてみてください。

 

 

ちなみに下の写真は、昨日のブックファースト渋谷文化通り店さま。

なんの実績もない新人の新書を、まさかの4面展開!!!

感謝、感謝、感謝、ただただ感謝です!!!

 

 



その質問は誰の質問か?

前回から日が空いてしまいました。

取材時に気をつけること、その続きです。

 

緊張してるのはあなただけじゃない。

ここで信頼関係の構築に失敗してしまうと、

相手は無難に取材を終わらせようと、「いつもの話」を始めてしまう。

だから、事前にたくさんの資料を読み込んで、

「あなたのことをこんなに調べてきましたよ」

「わたしを信用しても大丈夫ですよ」

というサインを送る必要がある。

言葉で伝える必要はない。読んでいれば、自然と伝わる。

ライターにとって大切なのは、

いかにして「いつもの話」から脱するか? という問いかけなのだ。

前回はそんな話をしました。

 

 

それでは「いつもの話」に流れようとする取材相手に対して、

どんな質問をしていけばいいのでしょう?

どうすれば信頼関係を築くことができるのでしょう?

これはかなり難しい問題だと思います。

いまのところ、ぼくの暫定的な答えは次の一点です。

 

 

●質問の主語を意識的に使い分ける

取材のなかでライターは、取材相手にさまざまな質問をします。

そして質問とは、基本的に「わからないから」するものです。

または「もっと知りたいから」するものです。

 

では、ここで「わからない」と思っているのは誰なのでしょう?

いったい誰が「もっと知りたい」と思っているのでしょう?

取材のなかで相手に質問するとき、

この点をあいまいにしている人は多いのではないでしょうか。

 

ぼくは、

それが「読者の質問」なのか、

あるいは「わたしの質問」なのか、

質問の主体を明確に使い分けるよう、心掛けています。

 

なぜか?

 

基礎的な質問、かつ客観的な質問は「読者の質問」です。

具体的な質問、かつ主観的な質問は「わたしの質問」です。

 

いい原稿を書くためには、

「なにを今さら」と言われかねないような、

取材相手の基本情報も盛り込まなければなりません。

たとえあなたがその人の著書を50冊読み込んでいたとしても、

あえて基本情報(いつもの話)を聞く必要がある。

原稿の向こうに「なにも知らない読者」がいる可能性がある以上、

これは当たり前のことでしょう。

 

ということは、

取材が「いつもの話」だけで終わってはいけないけど、

なにも知らない読者のことを考えると「いつもの話」がゼロでもいけない。

おそらく取材の1~3割くらいは「いつもの話」になるし、

そうあるべきだと思います。

 

ただし、

これら「いつもの話」を引き出すにあたっては、

「まずは読者のために、○○のポイントについて聞かせてください」

「読者からすると、なぜ○○なのか疑問に思うかもしれませんね」

など、質問の主体が読者であることを明確にする。

こうすれば相手も

「なるほど、このライターさんはちゃんと調べた上で、

一般の読者にもわかるように基礎的なところから質問しているんだな」

と思ってくれるかもしれません。

 

そして語られた「いつもの話」に対して、

「それについて、ぼくが思ったのは…」

「まさにそこをお伺いしたくて、今日の取材を楽しみにしていたのですが」

といった具体的な「わたしの質問」を差し挟んでいく。

読者なんて関係ない、とにかく自分が知りたいのだ、という態度を明確にする。

 

こうすれば自分が事前に資料を読み込み、多くの考えをめぐらせてきたこと、

真剣に考えてきたことも伝わっていくはずです。

相手も信頼してくれるでしょうし、

さすがに「いつもの話」一辺倒ではなくなるでしょう。

もちろん、そのためには

事前にたくさんの資料を読んで、自分の頭で考え抜かなければなりません。

 

つまり、

原稿のアウトラインは「読者の質問」によって形成し、

原稿の妙味となる部分は「わたしの質問」によって引き出していく。

そして取材現場には、

・読者代表としての自分

・他の誰でもない「わたし」としての自分

・取材相手

の3人が同席している感覚です。

 

その流れで言うと、

取材とは、インタビュアー(聞き手)とインタビュイー(話し手)が

対峙するようなものではないと、ぼくは思っています。

むしろ、聞き手と話し手の両者がガッチリと肩を組み、

同じ方向を向いて、知恵と言葉を出し合って、

「どうすれば読者に伝わるか?」を考えていく共同作業の場こそ、

理想的な取材なのではないかと思います。

 

「読者の質問」と「わたしの質問」とを上手に使い分けることは、

その第一歩になるのではないでしょうか。



取材にあたっての注意事項。

前回に引き続き、取材の話を。

取材前の下調べが終わったら、今度は実際のインタビューです。

 

今回は考えるべきポイントが多いので、

要点のみをテンポよく紹介していきます。

ここでは仮にベンチャー起業家のAさんに取材する、としましょう。

 

 

 

●緊張してるのはあなただけじゃない

インタビューするとき、

まったく緊張しないという人はいないでしょう。

しかし、これは相手も同じです。

初対面の人間(ライター・記者)からあれこれ突っ込んだ質問をされるのですから

多少の緊張はありますし、

緊張とまではいかなくとも、それなりの警戒心や猜疑心はあります。

「こいつに任せて大丈夫か?」

「おれの言ってること、ちゃんと理解してるのか?」

「ちゃんと意に沿った原稿を書いてくれるのか?」

Aさんが不安を抱くのも当然ですよね。

ということで、インタビューの現場では

なるべく早く信頼関係を築くことが大切になります。

 

 

●だからこその下調べ

では、どうすれば信頼関係を築けるのか?

多くのライターは、ここで「気の利いた質問」をしようとします。

鋭い質問、頭のよさげな質問、専門家ぶった質問。

でも、気の利いた質問で信頼関係が築けるなんて、大間違いです。

 

実際に何度も取材を受けたことのある方はわかるでしょうが、

取材を受けるAさんは、相手(ライター)が

・どの程度自分のことを知っていて

・どの程度真剣に調べてきて

・どの程度(本気で)聞きたいことを持っているのか

あっという間に見抜いてしまいます。

場合によっては、そのライターが事前に

どの資料(記事や著書など)を読んできたのかまで、正確に見抜くほど。

ライターは隠しおおせているつもりでも、全部バレバレです。

 

だからこそ、下調べが大切なのです。

別に「あの本にこんなこと書いてましたね」なんて

余計なアピールをする必要はありません。

普通に話していれば、普通に伝わります。

他のライターが2~3冊しか読んでこないところを

10冊読んで取材に臨めば、その違いは言葉や態度の端々に現れます。

そして、それだけしっかり調べていることがわかれば、

「この人は信頼してもよさそうだ」と思ってもらえる。

気の利いた質問なんて、信頼関係の構築にはまったく不要なのです。

 

 

●「いつもの話」をさせない

では、仮にここで信頼関係の構築に失敗したらどうなるか?

答えはカンタン。

Aさんは「いつもの話」を始めます。

いつもの自己紹介トークをして、いつもの起業ストーリーを語り、

ライターに「いつもの記事」を書かせようとします。

 

なぜなら「いつもの話」とは、

Aさんにとっての「絶対にスベらない話」であり、

そのレールに乗っかって話を進めているかぎり

記事が大きな脱線事故を起こす危険は少ないからです。

相手のことを信頼していないときほど、Aさんは「いつもの話」に終始します。

 

ライターにとって難しいのは、

ここで語られるAさんの「いつもの話」がそれなりに面白く、

しかもスムーズに取材が進行していくことです。

 

Aさんは淀みなく語り、内容もコンパクトにまとまっていて面白い。

それで「いやー、今日はスムーズでいい取材ができた」と

勘違いしてしまうライターが多いのですが、まったくもって誤りです。

スムーズすぎる取材は、相手が「いつもの話」しかしていないのだ、

と思ったほうがいいでしょう。

そして「いつもの話」だけなら、わざわざ取材する必要もありません。

既刊の雑誌や本に書いてあるのですから。

せっかくお互いに貴重な時間を割いて取材するのだし、

なにか新しい話を聞き出しましょう。

これは読者のためにも、そうあるべきです。

ライターにとって大切なのは、

いかにして「いつもの話」から脱するか? という問いかけだと思います。

 

 

ということで、

どうすれば「いつもの話」から抜け出せるかについては近日中に。

(ライターの方は、ぜひ考えてみてください!)