なんのために書くのか?

本日、早いところでは昨日、

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社新書)が

めでたく発売になりました。

名前のとおり、文章の書き方について語った一冊です。

 

 

今日は、どうしてこんな本を書いたのかについて、

簡単にお話ししようと思います。

 

ライターとして、毎日いろんな原稿を書くなかで、

ふと疑問に思うことがありました。

 

たとえば、

<昨日の夜、東京地方では雪が降った>

という文を書いたとします。

けれど心のどこかで

「うーん、なんか違うな」「なんとなくしっくりこないな」と思う。

 

そこで、

<昨日の東京地方は、夜から雪になった>

と書きなおす。

「うん、こっちのほうがしっくりくるな」と思う。

 

このブログでも、メールでも、あるいは仕事の原稿でも、

ぼくはそんな感じで文章を書いているわけです。

たぶん、ほとんどの人が同じだと思います。

 

でも、ここでの

「なんか違う」とか「なんとなくしっくりこない」とか、

「こっちのほうがしっくりくるな」とかって、

なにを根拠にそう感じてるのでしょう?

 

勘?

経験?

センス?

 

文法的に明らかな誤りがあるのなら別だけど、

<昨日の夜、東京地方では雪が降った> に文法的な誤りは見受けられない。

なのに、どういうわけか「なんか違う」と思ってしまう。

これ、非常に困った問題です。

 

というのも、基本的にぼくは自分に才能がないと思っているので、

(才能がないことを知っているので)

できれば「勘」とか「センス」なんてあやふやな基準に頼ることなく、

もっと確かな基準をもって、自分の文章を見極められるようになりたいのです。

そうしないと今後の成長は望めないなあ、と。

 

そうやってあれこれ文章について考えをめぐらせていたとき、

ちょうど運よく「文章術の本をやりませんか?」と声をかけていただき、

チャレンジすることにしました。

 

 

もうひとつ、書いた理由としては、

(これは本の中身にも通じる話なのですが)

頭のなかでいくらぐるぐると考えたところで、答えなんか出ないんですよね。

 

自分なりの「解」を得る唯一の方法、

それは「書くこと」なんです。

 

書く、という再構築とアウトプットの作業を通じて、

ようやくぼくたちは「解」を得る。

解がわかったから書くのではなく、

解を得るために書く。

「書くこと」とはそういうことだと、ぼくは思っています。

 

そして今回、

ぼくは「文章ってなに?」について徹底的に考え、書きました。

自分なりの「解(最善解)」は十分に掴んだつもりです。

よろしければぜひ、ぼくの「解」を覗いてみてください。

 

 

ちなみに下の写真は、昨日のブックファースト渋谷文化通り店さま。

なんの実績もない新人の新書を、まさかの4面展開!!!

感謝、感謝、感謝、ただただ感謝です!!!

 

 

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