取材の前に読むべき資料。

先日、ある方から取材について質問を受けました。

単刀直入に、どうすりゃうまく取材できるのか、と。

たしかに「どう取材するか?」はわかりにくいものです。

 

ライターにとって、

文章の上達はさほど難しいテーマではありません。

ダメな文章を書けば、それを指摘してくれる編集者もいますし、

先輩や上司もいるでしょう。

そしてなにより、世の中にはたくさんの「文章のお手本」があります。

学ぶ意欲さえあれば、文章なんていくらでも上達します。

 

ところが取材にはお手本がいません。

新人時代に先輩の取材に同行することはあるかもしれませんが、

ほどなく1人で取材することになるでしょう。

このとき、仮にダメダメな取材をしてしまったとしても、

それを細かく指摘し、指導してくれる人はどこにもいないのです。

 

なぜなら、

取材は「現場」にしか存在しない一陣の風であり、

その取材がどれほどダメダメだったかを知る証人は

インタビュアー(聞き手)とインタビュイー(話し手)しかいません。

たとえ原稿の出来が悪かったとしても、

それが文章力の不足によるものなのか、それとも取材そのものに問題があったのか、

第三者には判断がつきにくい。

これは取材につきまとう、永遠のジレンマでしょう。

 

そのため多くのライターは、

自分が優秀な取材者なのか、それともポンコツの取材者なのか、

うまく判断できないまま、キャリアを重ねていきます。

「とりあえず誰に会っても緊張しなくなった」

「アドリブの質問がたくさん出せるようになった」

「取材相手からほめられた」

せいぜいそのへんを頼りにするしかない。

ぼく自身、取材者としての自分には

自信がもてないまま現在に至っているのが正直なところです。

 

ということで取材の話をしていきたいのですが、

取材には大きく3つの段階があります。

 

(1)前取材………事前の資料読み

(2)対面取材……実際のインタビュー

(3)後取材………事後の資料読み

 

今回お話ししたいのは(1)の前取材、

そのほんの一部です。

 

たとえば3日後に、とんでもない有名人に取材するとなったとき、

どんな資料を読むべきか?

 

まず読むべきは、雑誌やウェブでのインタビュー記事でしょう。

最低でも3本、できれば5本以上目を通す。

これはその人のパブリックイメージを知るのに役立ちます。

というのも、インタビュー記事の大半は

その人がおおむね「了」としている「わたし像」であるはずなので、

自分が原稿を書く際の方向性を見極める一助になります。

また、

意外なほどフランクでユーモアあふれる上場企業の経営者や、

逆にインタビューになると真面目なことを語り出すお笑い芸人など、

良質なインタビュー記事からは、たくさんの情報が伝わってくるはずです。

 

続いてその人の書いた本を読んでいくわけですが、

たとえば彼がとんでもない多作家で100冊以上の著書がある場合、

3日後までにすべてを読み通すのは、かなり困難です。

限られた時間のなかでどの本を読むか、決めていかなければなりません。

そこでぼくが守ってる優先順位は、次のようなものになります。

 

(1)代表作

(2)最新作

(3)代表作のひとつ前の作品

(4)最新作のひとつ前の作品

(5)処女作

(6)あとは気になる著書を片っ端から読み漁る

 

これは誰に教わったものでもない、経験則による優先順位です。

(1)と(2)、また(5)と(6)はいいとして、

問題は(3)と(4)でしょう。

 

ビジネス書や実用書の著者にせよ、小説家の方々にせよ、

「その人らしさ」が出ているのは、いわゆる代表作ではなく、

意外と(3)の「代表作のひとつ前の作品」だったりします。

もしかすると、

「ここでの苦労があったからこそ、代表作が生まれた」という

苦心に満ちた作品であるからかもしれません。

あるいはもっと単純に、

「代表作より全然面白いじゃん!」という作品が

ひとつ前に書かれていることも多々あります。

芥川賞作家や直木賞作家でも、受賞作のひとつ前に

とんでもなく面白い傑作を書かれている方は大勢いますよね。

 

場合によっては作品としてこなれておらず、

読みにくかったり、

専門的で難しいところがあったりするかもしれませんが、

「これを読まずして取材に臨むなかれ!」と断言したいくらい、

ぼくが大切にしているところです。

 

(4)の「最新作のひとつ前の作品」は、

最新作に至るまでの流れを知るのが最大の目的で、

近刊をできれば3〜4冊ほど押さえておくと、

その人の「いま」がなんとなく見えてくるものだと思います。

 

たぶん取材まわりの話は、書いていけばどこまでも長くなる気がするので、

とりあえず今日はこんなところで。

(じつはこれから取材です)



叛史の評伝 『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』

小学生の頃、折からのプロレスブームもあって

子ども向けの「プロレスラー大百科」的な本が数多く出回っていた。

いま考えるとウルトラマンの怪獣や仮面ライダーの怪人を集めた

「怪獣・怪人大百科」的な本とまったく同じノリである。

 

そんな「プロレスラー大百科」的な本に決まって登場するのが、

初代NWA王者として知られるフランク・ゴッチである。

(当時は歴代NWA王者を順に紹介するのが一般的だった)

真ん中分けの紳士然とした髪型に、端正な顔立ちと分厚い体躯。

19世紀から20世紀にかけて活躍したという彼は

鉄人ルー・テーズですら伝聞情報しか持たない歴史上の人物で、

「ゴッチの前にゴッチなく、ゴッチの後にゴッチなし」

の名文句とともに紹介されるのが常だった。

 

てっきり和訳のキャッチフレーズだと思っていたこの言葉が、

じつは戦前に活躍した柔道家から拝借したものだと知ったのは

かなり後年のことだ。

柔道界で長く語り継がれる言葉、

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」である。

無論、ここで空前絶後として語られる柔道家とは、

プロレスファンには力道山との「昭和の巌流島決戦」で知られる、

あの木村政彦だ。

 

プロレスに熱中していた小中学生時代、

ぼくにとっての木村政彦は、徹頭徹尾カッコ悪い男だった。

力道山との戦いで急所蹴りを見舞い、力道山の怒りを買って

ボロボロになるまで叩きのめされた柔道家。

しかも、その戦いにおいて八百長を申し出ていた柔道家。

それがプロレス雑誌や関連書籍を介して知るところの木村政彦だった。

 

もちろん、UFC発足後のグレイシー柔術台頭などにより、

木村の名誉は大いに回復される。

しかし、そこで語られる「伝説の柔道家」像も、

どこかプロレス的ファンタジーに彩られたものだった。

 

さて、

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのかである。

 

 

これは <正史> を覆さんとする、叛史のノンフィクションだ。

<正史> とはなにか?

『砂のクロニクル』や『虹の谷の五月』で知られる作家・船戸与一は、

70年代に豊浦志朗名義で刊行した『叛アメリカ史』において、

次のように定義している。

 

 

【正史】

教科書に書かれた歴史はみごとに首尾一貫している。

強いものが勝つ。

この当然の力学が説明されるために、

数字がならべたてられ、条文や宣言が熱心に盛りこまれる。

感情移入を排除したかのごとく見せかける技術がフル回転させられ、

無味乾燥な体をなす歴史記述の中で、

単純な力学はいつのまにかねばねばした法則にすり変わる。

勝ったものは正しい。

これが今日、歴史体系といわれているものであり、近代以降、

この体系の内奥にはつねに巧妙な倫理主義が秘められているのである。

正史の編纂者とはまさにこういう歴史体系の

たゆまざる創造者であり補足修正の技術者にほかならない。

彼らの努力によって、人は、俗にいう歴史−正史を読めば読むほど、

力学の縦軸、倫理主義の横軸によって固定化された

一つの座標軸の中での発想を余儀なくされる。

この座標軸から自由になろうとすれば

容赦なき報復が待ちうけているという恫喝が伏文字として機能しているから。

呪縛。これが正史の出発から究極までの一貫した狙いである。

 

 

『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の著者、

増田俊也が覆さんとしたのは、2つの <正史> だった。

 

(1)近代柔道史

(2)昭和格闘技史

 

豊浦志朗によると <正史> の版元は「いうまでもなく権力総体」だ。

そして

近代柔道における権力とは「講道館」であり、

昭和の格闘技における権力とはよくも悪くも「力道山」である。

 

 

増田は執念に満ちた取材活動の末、

丹念に <正史> の矛盾をひとつずつ暴き、

その背後にあったはずの史実、<叛史> を編纂していく。

特に高専柔道経験者でもある増田の描く

戦前から戦後混乱期にかけての <叛柔道史=叛講道館史> は

資料的価値も高く、

講道館の編纂する <正史> を塗り替える可能性に満ちている。

 

 

しかし、昭和格闘技の <正史> を覆さんとするところで、

増田の思惑は少しずつ狂っていくことになる。

<叛史> の主人公たる木村の動きに、微妙な狂いが生じてくる。

 

木村を信じたい。

長らく思い描いていた物語を信じたい。

けれども、まさか自分が

己の都合によって虚偽の <正史> を編纂するわけにはいかない。

 

自ら思い描いていた <叛史> の悲劇的崩壊を予期しながら、

それでも作家の矜持を守り、手を緩めることなく筆を進めていく増田。

ラスト100~200ページの圧倒的かつ哀しみに満ちた展開は、

読む者の心を決して捕らえて放さない。

魂が震えるとは、このことだ。

 

増田のたどり着いた結論は、あまりに残酷である。

木村は疑問の余地がないほどに、世界最強だった。

しかしあの日、木村は力道山に負けた。

あらゆる意味で、負けた。

 

はからずも増田は、

「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」という

自身の絶対的な <正史> にさえも、疑問を投げかけることになったのだ。

なんと壮絶な <叛史> のノンフィクションだろう。

 

物語の最後、妻と散歩する木村は、

ある印象的な言葉をつぶやく。

ここでは書かない。ぜひ物語と一緒に読んでいただきたい。

 

ほんとうの勝者は誰だったのか。

生き続けるとはどういうことか。

人は誰のために生きるのか。

 

読後、さまざまな思いが頭を駆けめぐった。

紛れもない、渾身の傑作だ。

 



大晦日によせて。

大晦日です。

お昼にテレビをつけたら、なるほど大晦日。

年始の特番告知のついでに「トリビアの泉」が再放送されていました。

そこで本日は、

ぼくの手持ちのトリビアネタをご紹介したいと思います。

主人公はかの有名な深海魚、チョウチンアンコウです。

 

 

ヘッドライトのような、提灯のような、

まったくもってわけのわからん

捕食用のぶらぶらを誇示しているチョウチンアンコウ。

しかしこの深海魚の恐ろしさは、 顔やぶらぶらだけではありません。

 

ぼくらが「チョウチンアンコウ」と聞いてイメージする

上のイラストみたいな雄々しい魚、

あれって、一匹の例外もなくメスなんだそうです。

 

じゃあ、オスはいないのか? というと、

さすがにそんなことはなくって

メスが体長60センチくらいの巨漢なのに対し、

オスの体長はたったの4センチくらいなんだといいます。

15分の1ですよ!? メスの。

 

つまり、これを人間に置き換えるなら、

オスが170センチの男の子だとして、 メスはその15倍。

25メートルを超える大巨人ということになります。

 

さあ。

ここで、われわれ人間は考えなければなりません。

 

男子であれば、

身長25メートルのガリバーガールと恋に落ちたおのれの絶望を。

 

女子であれば自分の15分の1、

身長11センチのピクシーボーイに恋してしまったおのれの悲運を。

 

恋に国境はありません。

年齢だって、国籍だって、かんたんに乗り越えられる。

ましてや身長がネックになるなんて、考えられない。

それが恋というものです。

相手がどんな体躯であれ、大いに恋すればいいでしょう。

 

しかし、子孫繁栄に関わる問題、

すなわち子づくり問題は、どうにもなりません。

いや、それどころか手をつないで初詣に行くことすらできないのです。

 

そこでチョウチンアンコウは考えました。

ぶらぶらをふるふるしながら考えました。

身長差を乗り越える方法を。

スキンシップを図り、子孫を残す方法を。

解決策は、かなり大胆なものです。心して聞いてください。

 

まず男は「いいな」と思う女を見つけたら、

その腹めがけて思いっきり突進し、がぶり噛みつきます。

歯が食い込んで、血がにじむくらい、

狂おしいほど強烈に噛みつきます。

そして噛みついたまま、ひたすらじっとしています。

 

噛みついてなにをしているのか? ……待っているのです。

なにを待っているのか? ……時が流れ過ぎるのを。

時が流れてどうなるのか? ……「ひとつ」になるのです。

 

そう、浅学のぼくにはどういうカラクリなのかわかりませんが、

人間界の常識では通り魔としか思えない「噛みつきの儀」を経たのち、

噛みつかれて肉のえぐられたチョウチンアン子の傷口は、

チョウチンアン太郎の唇と一体化するのだそうです。

 

想像してください。

傷が癒え、互いの皮膚がつながり、互いの血管が通い合っていく快感を。

同じ場所で、同じ時間を過ごし、どくどくと同じ脈を感じる一体感を。

もちろん口を塞がれたアン太郎は、

自分でごはんを食べることもできなくなります。

栄養分のすべてはアン子の血液やら体液やらからいただき、

いつしかアン太郎の目や内臓は退化してしまうというから本物です。

 

整理しましょう。

かつては魑魅魍魎どもが暗躍する深海のなかで自由闊達に泳ぎ回り、

その益荒男ぶりを大いに発揮していたはずの猛者、アン太郎。

 

しかし彼は、おのれの愛を貫くためにアン子の腹部に食らいつき、

やがてその一部分となって、

つまりはただの「でっぱり」となって、生涯のすべてを彼女に捧げます。

なお、生態的な余談を加えておくと、

アン太郎の愛を全身で受けとめたアン子が産卵期を迎えたころ、

でっぱり内部で精子が産生され、めでたく受精するのだそうです。

 

なんたる壮絶な愛の形でしょうか。

このエピソードを聞いたとき、

ぼくは深海に生きるアン太郎が発揮する見事な自己犠牲の精神、

ひとつになろう精神、

つながろう精神、

あるいは究極的なヒモ男っぷりに感動してしまいました。

 

この大晦日、

ぼくはあらためて彼らに敬意を表したいと思います。



工藤公康さん。

先日、DeNAの監督就任交渉が決裂した工藤公康投手が、

現役引退を発表されました。

西武、ダイエー、巨人、横浜、そして再び西武と渡り歩き、

実働29年間で通算224勝をあげた大投手です。

今日はその工藤公康さんの話をさせてください。

 

ときは1999年、当時工藤投手が在籍していた福岡ダイエーホークスが

中日ドラゴンズを破って日本一に輝いたシーズンオフにさかのぼります。

 

自身はパリーグMVPに輝き、女房役の城島健司捕手は一人前に育ち、

まさにホークス黄金時代の幕開けを予感させたシーズンオフ。

ダイエー球団側は、日本一最大の功労者と思われる工藤投手に対し、

あまりに誠意を欠いた契約交渉を行いました。

もう10年以上前のことなので細かいことは忘れてしまいましたが、

工藤投手と球団側がメディアを介してバッシングし合う典型的な泥仕合となり、

やがてFAによる巨人移籍が浮上してきます。

 

そこでホークスファンは工藤投手への署名活動を開始して、

なんと15万人以上ものファンが「ホークスに残って」との嘆願書を送りました。

ぼくも、そのうちのひとりです。

インターネット経由ではありましたが、署名とメッセージを送りました。

しかし、ファンの願いは届くことなく、工藤投手は巨人にFA移籍してしまいます。

 

それから約2年ほどのあいだ、

ぼくは巨人のユニフォームを着て活躍する工藤投手を好きになれませんでした。

やがて自分が署名活動に参加したことも忘れ、

熱心にプロ野球中継を観ることもなくなっていきました。

 

そんなある日、驚くべきことが起こります。

なんと、当時住んでいたマンションの郵便受けに

工藤投手から住所と宛名が直筆で書かれたハガキが届いていたのです。

 

 

そのハガキには直筆のサインとともに、こんな言葉が書かれていました。

「マウンドで投げる47の後にいつもあなたの声援があったこと、

 この5年間に感謝を込めてありがとうございます」

 

 

のちに聞いたところによると、巨人移籍後の工藤投手は

時間を見つけては、自分に嘆願書を送ってくれたファンの全員、

つまり15万人のファン全員に対して、このハガキを書いていたのだそうです。

ぼくがハガキを受け取ったのは署名活動から2年後のことでした。

きっと何年もかけて、コツコツと書かれていたのでしょう。

 

 

それからおよそ10年後、

ぼくは『40歳の教科書』という本の企画で

工藤投手にインタビューする機会に恵まれます。

ただただ「ようやくありがとうを伝えられる!」という喜びでいっぱいでした。

 

 

取材当日、ぼくは持参したハガキを差し出して、

できるだけストレートに感謝の言葉を伝えました。

 

工藤投手は照れを隠すように「おおっ!」とハガキを手に取ると、

ハガキを見つめたまま、誰に語るともなく語りはじめました。

 

「いやあ、懐かしいなぁ」

「ちゃんと持っててくれたんだね」

「おれさ、もう一枚も持ってないんだよ。書くばっかりでさ」

「うん、こうやって人から見せてもらったのは初めてだな」

「そうかそうか、うん。懐かしいよね」

「ありがとう、ありがとう」

 

自筆のハガキを手に、少しだけ恥ずかしそうに語るその笑顔は、

まるで旧友と再会した少年のようでした。

 

 



こんな企画考えてました。

ぼくのMacのハードディスクには

「その他ボツネタ」という哀しい名前のフォルダがあります。

その名のとおり、なんらかの事情によってボツになった企画たちが眠る、

想念の怪獣墓場みたいなフォルダです。

今日はそんなフォルダの中から、

「これやってたら面白かったかもなー」という企画を紹介したいと思います。

 

 

タイトル:吾輩は紙幣である。

帯コピー:男なら万札の肖像画になってみろ!!

 

企画概要:

男子一生の夢とはなにか。上場企業の経営者? 総理大臣? ノーベル賞?

そんなちっぽけな目標では、とても夢とは呼べない。

男子一生の夢、それは「日本銀行券の肖像画になること」である。

そこで本書では、過去に日本銀行券の肖像画となった偉人たちを徹底分析し、

その共通項を暴き、いかなる人生を歩めば将来「万札の肖像権」を獲得できるか考察する。

 

 

……えー、バカまるだしの企画ですが、ファイルの日付を見ると2005年。

うーん、なんだろう。海外の独裁国家とか見てると、

もう「お札になったら勝ち!」みたいな雰囲気がありますよね?

やっぱり権力者にとって、

最終最後の夢として「お札になる」ってのはあるんじゃないかと思うんです。

ただしもちろん、本気で「万札の肖像権」を狙う人に向けた本ではありません。

 

・お札の肖像画になってる人、意外と知らないよね。

・でもそれを網羅的に教えてくれる本ってないよね。

・でもでも、肖像画の選考基準もよくわかんないよね。

 

というあたりの雑学的・現代史的好奇心をくすぐる企画として考えました。

ちなみに当時調べたところによると、お札の肖像画って

 

一円札 :武内宿禰、二宮尊徳

五円札 :菅原道真、武内宿禰

十円札 :和気清麻呂

五十円札:高橋是清

百円札 :藤原鎌足、聖徳太子、板垣退助

五百円札:岩倉具視

千円札 :日本武尊、聖徳太子、伊藤博文、夏目漱石、野口英世

五千円札:聖徳太子、新渡戸稲造、樋口一葉

一万円札:聖徳太子、福沢諭吉

 

というラインナップなんですよ。

ここから江戸~明治期以降の人物をピックアップしたらこうなる、

と企画書には書いてあります。

 

・二宮尊徳(農政家、思想家)

・高橋是清(政治家)

・板垣退助(政治家)

・岩倉具視(政治家)

・伊藤博文(政治家)

・夏目漱石(小説家)

・野口英世(医学者)

・新渡戸稲造(教育者)

・樋口一葉(小説家)

・福沢諭吉(思想家、教育者)

 

このラインナップから察するに、

とりあえず政治家になるのが万札へのいちばんの近道に見えますね。

しかし、ここにいるのは戦前の政治家ばかり。

戦後の政治家はひとりもいませんし、

常識的に考えて、たとえば民主党政権のあいだに

政府が「鳩山由紀夫を一万円札に!」なんてことを言い出したら

とんでもない騒ぎになるでしょう。

政治が「歴史」になるには、かなりの時間が必要なんだと思います。

実際、近年は小説家、教育者、医学者といったアカデミズム畑の人々が

お札の肖像権を勝ち得ていますし。

 

じゃあ、ここにいる政治家以外の人々、

二宮尊徳、夏目漱石、野口英世、新渡戸稲造、樋口一葉、福沢諭吉に、

どんな共通項があるのでしょうか?

彼らのなにを見習えば、ぼくたちもお札になれるのでしょうか?

……これが考えても考えても見えてこず、この企画は頓挫したのでした。

 

もしどこかの編集者さんで、この企画をやってくださる方がいたら、

ぜひぜひ実現してやってください。

フリーでシェアでハッピーで、事前のご連絡はけっこうです。

 

それでは、また!